紫煙を憐れむ唄
幼い頃…
まだ小学校にも入学していない頃の記憶。
夜寝る時は母親、父親と同じ部屋で寝ていた。
父親は米軍基地内で仕事をしていて、夜遅くに帰宅する事も当たり前の様にあった。
何時かわからないが夜遅くに帰ってきて遅い夕飯を食べ酒を飲み、そして寝る。
私は当然幼い子供だから寝ているが必ずと言っていいほど父親が寝床に入るときに一度目が覚めていた。
それは、父親が燻らせる煙草の煙のせいだった。
父親は寝床に入る前に煙草を吸ってから寝るのが日課だった様だ。
この煙草の煙が子供の私には嫌でしょうがなかった。
私はある程度成長し、1人の部屋を与えられ夜も1人で寝ることができる年頃になるまで結局その煙の匂いを好きになることはなかった。
私自身が煙草を吸う様になりその嫌いな煙の記憶はいつしか消えていた。
しかし、ふと思う時がある。
夜中に寝る前に吸う父親の煙草の煙の匂いには安心感があった。
厳密に言ったら煙に対して安心感があったわけではないのだろう。
煙の匂いがすると父親が帰ってきた。という精神的な安心感だったんだろう、と思う。
そして布団を頭まですっぽり被ってしかしその隙間から微かに匂ってくる煙草の煙を感じながらいつしか眠りについていた思い出がたまに蘇る。
煙草に対しては賛否両論あるだろう。
これは煙草が完全にこの世からなくならない限り永遠に続くのではなかろうか。
しかし煙草は無くならない気がする。
姿形を変え、その時代と共存しながら存在しているだろう。
煙草が良いか悪いか、という論点は置いておいて…。
煙草を吸える場所も以前に比べかなり範囲が狭くなってきた。
ほぼ無いと言っても等しいのでは無いか。
ことvapeにおいても同様である。
いや、もしかしたら煙草より狭いのかもしれない。
しかしvapeには広い意味で趣味嗜好的なスタイルが強い向きがあるというアドバンテージがある気がする。
これを生かすも殺すもこれを提供する側、そしてユーザー次第ではなかろうか。
今、vapeはまだまだ発展途上だと思われる。
だからこそ今が大切なような気もする。
かと言って私に何ができるかというと、言葉が詰まってしまうだろう。
私は煙草も時々吸う。
幼い頃に嗅いだ父親の紫煙を思い出しながら今日も煙草を吸いながらMODを磨いていたりするのであった。